ひつじのいくじ

出産、育児、ハンドメイドや生活のいろいろ。

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働いてから学校に行った話とパニック障害のこととか

昨日、「在宅ママブランド」で紹介していただいたよ!という記事を書きました。

おうちにいながら得意なことで働く!「在宅ママブランド」で紹介していただきました - ひつじのいくじ

 

インタビューしていただいた記事の中では、今までこのブログで触れてこなかった「就職したあとに進学したこと」や「パニック障害やうつのこと」についてもあっさりと書きました。

 

この記事ではそういう部分について書いてみようと思います。

ただの自分語りなので…しかも面白くないので…どっちかというとお時間無駄にするかもしれません。予めご了承ください! 

働いてから学校へ行った話

よっぴさんの記事の冒頭で少し触れた、働いてから学校へ行った話。 これもブログでは書いたことなかったと思うのですが、私は高校卒業してからすぐには進学せず、少し働いてから専門学校に進学しました。

あらすじ

大学進学を目指して高校入学→楽しい高校生活→大学合格→卒業式の次の日に親から「大学行けないよ」と告げられる→「自分でお金貯めて大学行く!」と決心→フリーター→就職→高校卒業から3年後、専門学校進学

 そんな感じです。

 

高校の卒業式も終わって新生活への夢を膨らませ、地元のみんなとここぞとばかりに集まって遊んだりするぞー!ってときに、親から「大学行けなくなった」と告げられた。

そのとき私が返した答えは「そっかー、分かった」だったと思う。中学のときに祖父母の経営していた会社が倒産して、そのいろいろでどうしようもなかったんだよねー。文句言ってもしゃーないし、親が必死で働いていたのは知ってたから。

 

もともと奨学金を借りる予定だったけど、奨学金が下りる前の入学金が払えなかった。親は自己破産してるから教育ローンも借りられないし、そもそも大学進学にお金がかからなかったとしても、家計がマイナスだから行かないでほしかったみたい。先に言ってよ~「大学行かないで家にお金入れてほしい」って。言ってくれれば就活したのにな。

子供に言えなかったんだろうけど、この後出しはちょっと残酷ー!って今なら思う。当時怒りもしなかった自分が切ない。

高校生の私はお金のこと何にも分かってなくてただただ子供だった。みんな普通に大学行ってるし、親に進学の話しても何も言ってこないから自分も行けるんだと思ってた。おばか~お金って沸いて出てこないんだよしってる?

 

というわけで、その日は30分くらい部屋で親に聞こえないように声を殺して泣いてから、「いつか自分で大学いこう!」って決めて、とりあえずすぐに就職は難しいだろうからと思って、高校生の間バイトしてたところにまた働かせてほしいって電話して、近くのコンビニにもバイト募集してますか?って電話して、その日は終わった…のだったと思う。

 

そんなわけでバイト掛け持ちフリーターしたあとに地元企業に就職(本気ブラックで更に精神崩壊)→東日本大震災とかいろいろあって退職して仙台へ引っ越して就職→晴れて専門学校へ進学!

って感じでした。

 

仙台で働いてるときにはハンドメイド販売したり、資格勉強したりで充実してたなーって思います。このとき取得した資格はITパスポートと日商簿記3級・2級。

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普通科高校で大学進学を目指していたから、19・20歳くらいの私は社会で直接役立つ資格やスキルを持ってない上に学歴もないことがコンプレックスになっていて…。特にやりたいことも分からなかったので、一般事務系で就職するために役立ちそうな資格を、働きながらでも独学できる範囲で取得してみました。

 

で、ぼちぼち進学できそうになってきた頃、高校卒業当初は大学に行きたいと思ってたけど、「今から4年は長すぎるぞ・・」と思って専門学校へ。

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別に珍しいことでもないんだけど、試験と資格と高校時代の成績で授業料は半額免除してもらえた。よかった。

 

一度就職してから進学したことで、 たくさんのことを見つめ直す時間があったし、社会に出ないと分からないことを知った上で学校へ行けたので、結果的にすごく良かったなーと思ってます。他の同級生の子達よりも勉強に一生懸命取り組めたと思う。専門学校では簿記、会計、税法について少し学んで、日商簿記1級と全経簿記上級とかを取得したよ。本当は税についてもう少し踏み込んで、税理士試験も受験できたらよかったけどそこまで及ばなかったんだ。

それでも本当に行って良かった!って思ってるし、もし行かなかったら今も未練タラタラだったと思う。

高校卒業後のフリーター時代に夫と出会って、私が学校へ行くことをずっと応援してくれていました。

 

あと、夫も社会に出てから学校に行ってる人なので、自分の子供にも「高校でやりたいこと見つからなかったら、あとから学校行ってもいいんだよ」って選択肢を教えてあげたいな。もちろん、高校から進学すれば勉強に専念できる環境で大学受験に挑めるからすごく良いんだけど、大学進学してから・社会に出てから「やっぱなんかちがう」とかあるあるだと思うので。

社会に出てから高等教育を受けるのが、選択肢の1つとしてごく一般的になってるといいなあ、と、思う。

パニック障害・うつ

パニック障害とうつと診断されていました。

さっき「楽しい高校生活」なんて書いたけど、高校生活の後半はパニック障害とうつに支配された辛い毎日だった気がするけどほとんど記憶がないのです。普段は思い出そうと振り返っても思い出せないのに、たまにフラッシュバックのように脳裏によぎるのはあまりに鮮明でびっくりする…。

 

16歳のときに初めてパニック発作が出て、17・18・19の頃が一番酷かったかな。きっと10代の多感な時期だったのも影響あるかなと思う。

少しずつ症状がよくなってきた19歳後半あたりから、精力的に資格勉強したり趣味のハンドメイドに勤しんだりするようになりました。もう何年も発作を経験していないよ。人ごみも大丈夫。

でも発作のことを思い出したりすると苦しくなるから、できるだけ思い出さないようにしてるし、口にも出さないようにしてるし、体調が悪いときは積極的に休みます。

 

辛かった時期なんとかやっていけたのは、学校に行くぞ~って目標があったのと、それを諦めないように支えてくれた夫がいたからというのがすごーく大きいです。

あと自分が不幸だとは一度も思ったことない。今振り返ってようやく、「いやもっと弱音吐いていいでしょ!」とは思うけど。

 

 外出自体が辛かったこともあったし、神経過敏で子供の泣き声とかすごく苦手だったけど、現在の私はすっごくアクティブだし毎日楽しいし、子育て楽しいです。泣き声とかへのかっぱです。

自分が克服できたきっかけみたいなものがいくつかぼんやりとあって、本当はそういうことを書きたいけど、今のところとてもまとまりのあることは書けない><

でも、克服して日常生活を送ってる人がここにも1人いるよー!ってことを、もしかしたら今苦しんでる人に届いたらいいな。自分が普通に日常を送っている姿が想像できなくて、私は一生このままなのか?という不安が一番辛かったので、同じような人にちゃんと完治できるよと伝えたい。

 

 

もしかしたら経験談が誰かのためになるかもしれないと思って何度も書こうとしたけど、東日本大震災のことと、この病気のことだけは、いつも結局書けないなー。ところどころしか思い出せないし、しんどいので今回もこれにて。

  

さー、ここまでばばばーと書いたけど公開を躊躇っている!今までにも何度かこのような内容を書いては消したことがあって、それは大体内容を読み返しているときに「やっぱやーめた!」ってなるので今回はこのまま…!

かなり勢いで書いているので日本語自体おかしい部分もあると思いますがこのまま!